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札幌高等裁判所 昭和35年(う)136号 判決 1961年8月12日

控訴人 検察官 寺沢真人

被告人 松田鉄蔵

弁護人 岩谷静衛 外一名

検察官 中村次郎

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一年に処する。

ただし、この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

被告人から金百万円を追徴する。

原審及び当審における訴訟費用は、全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、札幌地方検察庁検事寺沢真人作成名義の控訴趣意書記載のとおり(事実誤認)であり、これに対する主任弁護人岩谷静衛の答弁は同弁護人及び弁護人小玉治行共同作成名義の答弁書記載のとおりであるから、いずれもこれを引用し、右控訴趣意に対し次のとおり判断する。

原判決は、所論のとおり、本件公訴事実につき「被告人が昭和二八年四月一九日施行の衆議院議員選挙に当選し、衆議院水産委員並びに同委員会に設置された漁業制度及び水産資源の保護増殖に関する小委員会の委員に選任され、その委員として、国会法及び衆議院規則に基づき右委員会及び小委員会に付託された議題について自由に質疑討論し、又は表決に参加すべき職務権限を有していたこと、並びに昭和二八年六月三〇日ごろ東京都千代田区霞ケ関三の六番地衆議院第三議員会館内自室において、石狩湾漁場対策委員会委員長伊勢栄吉より、石狩湾における中型機船底びき網漁業の操業区域及び期間の制限拡大問題を右衆議院水産委員会又は前記小委員会に提案審議をなす手段、右操業区域及び期間の制限拡大により底びき漁業の被る損害並びに救済につき業者に有利になる方策等の相談を受けた事実及び同年七月七日ごろ東京都千代田区二番町一〇番地の一の自宅において右伊勢栄吉より現金百万円の交付を受けた事実」を認定したけれども、「本件百万円については、被告人はその職務に関し不法な対価として受領したものではなく、被告人が政党人として政党関係上より鳩山自由党に対する党献金の趣旨として交付されたものと認めるのが相当であり、結局賄賂性を欠くものである」と認め、犯罪の証明がないものとして無罪の言渡しをしている。

原判決の理由をなお検討してみると、本件百万円が賄賂性を欠くという右の判断は、結局、それが被告人自身に供与されたものではなく、伊勢栄吉から被告人を通じ鳩山自由党に献金する趣旨で被告人に交付されたものであるという認定のみに基づくものであつて、右献金が原判決認定の被告人の職務権限と関係を有するかどうかについては、原判決は別段説明を加えていないのである。

そこで、まず、本件百万円が被告人自身に供与されたものでないという原判決の認定の当否について検討する。

この点について原判決が採用した主要な証拠は、原判決が証拠価値の高いものと認めた昭和三三年二月八日札幌地方裁判所小樽支部において行なわれた原審証人尋問の際の証人伊勢栄吉、同斎藤文吉に対する各尋問調書である。

右証人伊勢栄吉に対する尋問調書によると、なるほど同人は鳩山自由党に対する献金の意思があつた旨の供述をしている。しかし、その供述をよく検討すると、

検察官の問に対し「この問題についてこれ以上やるとすれば国会方面に反映する必要がある。それで松田先生に相談したわけです。松田先生の言うには、それは大きな問題だ。これを政治問題に取り上げて行くことになれば相当金がかかるものなんだ。これは党のですね、党の基金、議員連盟か何か、当時あるんですよ。その当時(注、調書のここに「当時」とあるのは「党に」の誤りかとも思われる。)献金するのが一番いいんだ。いいんだが君方にはそういう金が仲々容易でないだろうしな。こういうようなことをもらしておつたこともあつたんです。」「その時分に少なくとも政治問題となるまでに行けば、相当費用もかかる。それは党の連盟か何かといいました、そこに献金するのが一番いい方法なんだ。ただし、君たちには金があるわけじやあるまいしなと。そういうような話があつたものですし、我々も費用一つも使わんでお願いするとか、あるいは運動することはできない。松田先生のそれだけの話ですけれども、何とかして我々は、党に幾分でも献金したいという気持は内輪にはあるわけです。」「我々は政治献金もわからんし、何もわからんもんですから、先生としてはそういう風な方面の方ですから、万事は一番適切な方にお使いになるんじやないかと解釈しておりました。」問「特にどの方面に渡してもらうというわけじやないんですね。」答「そういう具体的なことは、いちいち松田さんと私、意見を交換したわけじやありませんから。党に献金すれば一番いいんだと。松田先生がわかつているということが頭にあるもんですから。」

小玉弁護人の問「その際の松田代議士の党というのは、鳩山自由党のことですか。」答「私はそう解釈しております。」問「松田邸に行つて軽少ですがと言つて差し出した際も、やはり党に献金する意味でそう言つたわけですか。」答「私の気持は、当初松田先生がそういうような口吻をもらしたことは頭の中にこびりついているものですから、私としては、その場において、具体的にとやかく申しませんが、先生はそういう方面にお使いになるんじやないかと思いました。」

このように述べているのであつて、伊勢は、被告人が党に献金するのが一番いいと言つていたので、被告人が本件百万円をその方面に使うのだろうと思つていたというにすぎず、右金銭を差し出すにあたり党に献金する旨の意思表示をしたのではないことが認められる。またその献金先も鳩山自由党と解釈するというのであつて、果たしてそれなのかそれとも議員連盟というものであるのか、必ずしも明らかでないのである。

次に、石狩湾漁場対策委員会副委員長であつた斎藤文吉に対する前記証人尋問調書によると、同人が聞いたという被告人の話の内容は「党に頼むと経費もかかるが、君方にできるかできないか」というあいまいなもので、どういうことに金がいるのかは改まつて聞かなかつたと同人は述べている。また、当時宿泊していた旅館大栄荘で、伊勢から組合役員に対し、政治献金しなければならないという相談があつたとも述べているが、同人は本件金銭を伊勢が被告人に渡すときの状況は記憶がないと言つている位であつて、右相談の結果どういう趣旨で金銭を被告人に渡すようになつたのかにつき、確信をもつて述べているとは認められない。

その他右各証人尋問調書をよく調べて見ても、本件百万円が党献金である旨を明確にした供述であるとは認められず、かえつて伊勢栄吉は右金銭の交付にあたりその趣旨を明示しなかつたことが認められるので、被告にその使途を一任したものと推定する余地が大きいのである。しかも、右各調書その他原審で取り調べた証拠によれば、本件石狩湾漁業調整問題につき、伊勢らは被告人に対し、かねてから底びき網漁業者の要求を実現するための尽力を懇請していた上に、当時この問題を衆議院水産委員会の議題として審議してもらうための取り計らいを依頼していたことが認められるのであるから、伊勢らが被告人に謝礼ないし報酬を贈ることには理由があるのであるが、当時鳩山自由党が党の政策としてこの問題に関与したことは記録上認められないのであるから(証人田口長治郎に対する原審尋問調書参照)、前記各供述の中に鳩山自由党に対する献金ということが現われて来るのは、いささか唐突の感を免れない。このような事情からすると、前記各供述中党献金の話ないし意思があつたとの点は、証明力に疑いがあるといわなければならない。

ひるがえつて伊勢栄吉に対する昭和三二年九月五日付の刑事訴訟法第二二七条に基づく裁判官の証人尋問調書によると、同人は、「どういう趣旨で渡したのですか」との裁判官の問に対し、

「この問題についてはずつと前から私どももしよつちゆう上京して松田代議士に世話になつているし、又今度議会に働きかけてもらうのに御苦労をかけることだし、交際費もかかろうと思いまして渡した次第です。」問「その百万円は松田代議士だけにやるつもりでしたか、それとも他に渡してもらうためだつたのですか。」答「私としては、一たん松田代議士にお渡しすれば、その後は松田代議士の自由だという気持でした。」

と述べているのであつて、この供述は自己及び被告人に不利益な事実をあえて述べたものであること、その内容の自然であることなどから見て、真実性があり、証拠価値の高いものと認められる。この供述によれば、本件百万円は被告人に対し謝礼として贈与されたものと解しなければならない。原判決がこの点を無視し、恐らく右尋問調書中に「被告人が、こういう問題は一人ではどうにもならないから国会議員連盟に基金として献金した方がよいだろうと話していた」とある部分を捕えて、同調書中に同証人の前記小樽支部における証言と同様の記載があるとし、しかもこれを本件百万円は党献金である旨の供述と解しているのは理解に苦しむところである。

本件記録によると、本件百万円が党献金であるということは、原審公判前においては、右伊勢栄吉、斎藤文吉その他何人の供述調書にも現われていない。さらに正確にいえば、昭和三三年二月七日小樽支部における原審証人尋問に際し、前記対策委員会の事務を担当していた証人表一二が「今度の事件で松田さんにいろいろ御迷惑をかけたし、党にやるようなそんな大きな金は支度できないしということで、伊勢さんから、金を持つて行くことにするということを、幹部の連中に話していたのは聞いております」と述べる以前には(これとて党献金をしたという趣旨には解されないが)、何人も「党献金」に関して述べた形跡がないのである。同年二月八日に伊勢、斎藤が前記のように述べたほか、同年一〇月一五日の原審第五回公判及び同年一二月一〇日の同第六回公判に至つて、石狩湾漁場対策委員会に属する証人である渡辺徳次郎、八田孝久、渡辺善太郎、大地岸太郎、高橋政雄及び前記表一二らがそろつて、旅館大栄荘で伊勢から党献金しなければならないというような話を聞いた旨の供述をしているが、これらの供述はいずれも明確なものでなく、かつ結論として党献金をすることになつたのかどうかを明らかにしていない(表の供述のように、かえつて、そんな大金は出来ないという趣旨にとれるものもある)ので、証拠価値に乏しい上に、その供述の時期その他前述したところに照らし、党献金という部分は信用できない。当審における取調べの結果も、右の判断をくつがえすに足りない。斎藤文吉及び表一二は、検察官の取調べを受けた当時から本件百万円交付の事実を認めていながら、当時党献金であるとは言つていないのであり、その理由については当審における尋問の際にも十分な説明をすることができなかつた。また、渡辺善太郎のごときは、当審において、検察官の「石狩湾漁場問題で松田からいろいろ世話になっている、また面倒もかけているということでお礼をしようという話はなかつたですか」という問に対し、

「それは当然御苦労も願つていることでもありますし、先生にもいろいろあちこち回つていただけば費用もかかることでもありますし、お礼は出さなければならないだろうというようなことも出たこともあります。」問「どこで出ましたか。」答「大栄荘でなかつたかと思います。」問「伊勢組合長ら皆のいるところですか。」答「そう思います。」

と述べている。

もつとも、伊勢栄吉に対する前記裁判官の証人尋問調書及び同人の昭和三二年八月六日付検察官に対する供述調書並びに斎藤文吉の検察官に対する供述調書を総合すると、同人らが昭和二八年六月末ごろ被告人に会つた際、被告人が「この問題は私一人ではどうすることもできないので、内地の議員の協力を求めなければならない。それには運動費もかかる。議員連盟に基金を出せば有効だが、君たちにはそんな大金は無理だろう。とりあえず幾らかでも金が出来たら持つて来い」という意味のことを述べたことは認められる。しかし、このことは本件百万円の交付を贈与と解するについて少しも妨げとならない。なぜならば、右各調書によれば、伊勢は本件百万円を特定の運動費又は議員連盟に対する寄付金とする意思で被告人にその取次ぎを依頼したのだとは決して言つていないのであり、またそのような意思表示がなされたと認めるべき証拠は存在しないからである。伊勢が、被告人において運動費もかかるだろうという気持をもつていたことはうかがえないでもないが、しかし同人は何ら使途を限定しないで本件百万円を差し出したのであり、しかも被告人がこれをどのように使用しようと自由だという気持であつたことが同人の前記各供述調書によつて認められるのであるから、全額を贈与したものと認めて差しつかえない。

伊勢栄吉の右各調書及び前記小樽支部における証人尋問調書によると、同人は被告人に対し、本件百万円を「これはほんのおしるしですが」あるいは「軽少ですが」と言つて差し出し、被告人はすぐにこれを受け取つたことが認められる。これは慣習上金銭の贈与の際に用いられる言葉であるから、特段の事情のない限り、被告人は右金銭が自己に贈与されるものであることを知つてこれを受諾したものと認めるべきである。そこで、被告人は、原審公判廷で、右金銭を受け取つた後直ちに伊勢らに告げて当時鳩山自由党の幹事長であつた三木武吉の自宅に行き、これを献金として手渡したと弁解しているので、この弁解について検討する。

原審第一〇回公判調書によると、被告人が岩谷弁護人の問に対し供述した要旨は、次のとおりである。

「七月七日ごろ伊勢、斎藤が、それから表は来たかどうかわからないが、私の家に来ては伊勢から金を受け取つた。よろしく頼むと言つて持つて来たが、私は取り次いで上げましようということであつた。有効に使いましようという言葉を使つたかも知れない。とにかくありがとうとお礼を……前に、党に献金してくれれば動きやすいということを同人らに話してあり、それから三木先生に会わせ、その帰りに鳩山自由党も困つているから献金してやつてくれれば都合がいいと言つてあつたので、彼らが金を持つて来たのである。金はハトロン紙の袋にはいつていた。それから三人といつしよに私の小さな車に乗つてその金を持つて議員会館まで行つた。そうして三人を会館に降ろして、それから三木先生のところに持つて行つて来るといつて、私はすぐ三木先生のところへ行つた。着いたのが一一時ごろだつた。部屋に上がると、安藤覚が居合わせた。じいさん持つて来たと言つてはいつて行つて、あれから献金されたのを持つて来ましたと言つて、包んだままの金を三木先生に渡した。金額は改めなかつたが、百万円ということは車の中で聞いた。」

なお、検察官の「三木さんに渡したことを三人には話したか」という問に対しては、

「話しません。もう持つて行つたことははつきりしてるですから。持つて行くんだよと言つて。」

と答えている。被告人の言うとおりであれば、伊勢栄吉、斎藤文吉及び表一二は、被告人が即日三木邸に本件金銭を持つて行くと言つて出かけたことを知つているはずである。知つているとすれば、このように重要な事実は少なくとも原審公判では供述するのが当然と思われる。ところが、伊勢に対する原審証人尋問調書によると、同人は前記のように、特にどの方面に本件百万円を渡してもらうという具体的なことは被告人と話し合つていないと述べ、また「金を渡してからどのような行動をとつたか」という検察官の問に対し、「金を渡して、二階にいたのが三分か五分で、すぐ下の座敷に行つて先生と碁をやつて、朝御飯を食べて、それぞれそこそこ帰つて行つた旨答えており、斎藤に対する原審証人尋問調書によると、同人は「御飯の出る前に二、三十分あつたと思うが、帰つたのが九時すぎ一〇時近くではないかと記憶する」と述べており、表に対する原審証人尋問調書によると、折居弁護人の「あなた方が帰るときに、松田代議士もどこかに行くといつたようなことを聞いたか」という問に対し、出かけられるという話は聞いていたが、一緒には出かけません」と答え、被告人の「私の家の玄関に自家用車があつたか」との問に対し、「記憶していない」と答えているのであつて、いずれも帰りに議員会館まで被告人とともに自動車で行つたことにすら触れておらず、被告人が「これから三木先生のところに行く」と言つた旨は全然述べていないのである。もつとも、表は当審公判廷において証人として「被告人の車で議員会館まで送つてもらつたかも知れない」とも述べているのであるが、これから金をどこかに届けに行くという話は聞いていないと述べている。以上によれば、被告人が本件百万円を受け取つた後直ちに三木武吉宅におもむき同人にこれを交付した事実は存在しないものと認めなければならない。

なお、被告人から三木武吉に対し、献金がなされたとの事実に関し、原判決は高木松吉、金原舜二、中村梅吉、河野一郎及び安藤覚に対する各証人尋問調書を挙げているのであるが、これらの証言はその供述内容に照らし証明力の乏しいものであり、かりに昭和二八年夏ごろ被告人が三木武吉に献金した事実があるとしても、それが被告人の弁解のように本件百万円を鳩山自由党に取り次いだものとは認められない。原判決の認定によつても、「被告人はその日時は不明であるが、三木武吉に党献金をしたものと認定するを相当とする」というにすぎない。被告人が党献金をしたというのであれば、石狩湾漁場対策委員会からの献金を取り次ぐのとは別のことである。

以上によれば、本件百万円は鳩山自由党に対する献金の趣旨で被告人に交付されたものではなく、被告人自身に供与されたものであり、被告人はそのことを知つてその供与を受けたものと認めるのに十分である。したがつて、原判決の前記認定は事実を誤認したものといわなければならない。

そこで、進んで、右百万円の供与の趣旨及びそれが被告人の職務に関するものであるかどうかを検討する。

被告人が昭和二八年六月三〇日ごろ伊勢栄吉から本件石狩湾漁業調整問題を衆議院水産委員会又は同委員会に設置された漁業制度及び水産資源の保護増殖に関する小委員会に提案審議をなす手段、右操業区域及び期間の制限拡大により底びき漁業の受ける損害並びに救済につき業者に有利になる方策等の相談を受けた事実は、前述のように原判決の認めるところである。さらに前掲伊勢栄吉、斎藤文吉及び表一二に対する各証人尋問調書及び同人らの各検察官に対する供述調書を総合すれば、伊勢らから相談を受けた被告人の与えた方策は、衆議院に請願し、その水産委員会に陳情し、そしてこの問題を右委員会において議題として取り上げ審議してもらうことであり、その際被告人は「私が水産委員会の議題に乗せて底びきの立場をはつきりさせてやるから請願をせよ」(斎藤の検察官に対する供述調書第三項)とか、「運動費もかかる。君たちには大金は無理だろうが、とりあえず金が出来たら持つて来い。そうすれば君たちの要求する事項を私が委員会に乗せて審議するように計らつてやる」などと述べたことが認められ、また伊勢らは被告人の右指示を受け入れ、請願書及び陳情書を作成して被告人にその取次ぎを依頼し、かつ自ら水産委員長に面会して陳情するとともに、被告人から提案された方策の実現につき被告人に尽力を依頼するために本件百万円を被告人に供与したことが認められる。この際、伊勢らは、本問題を水産委員会で審議し、底びき網漁業者側に有利な解決に導いてもらうには、何よりも水産委員である被告人自身がこの問題を同委員会に提案して議題とし、そしてその審議において底びき網漁業者にとつて利益になる発言をすることが必要であると考え、このことを懇請していたのであり、右百万円は被告人のかような尽力に対する報酬とする意思であつたと認められる。そして前記のような事情のもとでは、右六月三〇日ごろの相談の際、右趣旨の請託があつたものと認めるべきであり、被告人が右請託を了知していたことは明らかである。

ところで、被告人が当時衆議院議員であり、衆議院水産委員及び同委員会に設置された漁業制度及び水産資源の保護増殖に関する小委員会の委員に選任されていたことは、原判決認定のとおりである。そして、原審第一〇回公判調書中の被告人の供述記載、証人田口長治郎、同白浜仁吉、同中川忞、同野口宣、同長谷川健治、同松平武一、同伊勢栄吉に対する原審各尋問調書及び同人らの各検察官に対する供述調書、証人川村善八郎、同岡井正男、同立川宗保に対する原審各尋問調書、証人表一二に対する裁判官の尋問調書及び同人の各検察官に対する供述調書、津島賢治、道盛弘蔵の各検察官に対する供述調書、原審第二回公判で取り調べた水産委員会議録及び衆議院公報綴、小委員会議録の写真、押収にかかる「昭和二八年度石狩湾問題陳情関係書類」(証第三号の二)中の「七月八日開催衆議院水産常任委員会漁業制度小委員会懇談会会議録抄」と題する覚書を総合すると、次の事実が認められる。衆議院水産委員会においては、第一六回国会はじめの昭和二八年五月二五日「漁業制度及び水産資源の保護増殖に関する事項」ほか二項目の事項についての国政調査承認要求を議決し、同月二七日田口長治郎委員長から衆議院議長に対しその承認を求め、同日その承認があつた。そこで同月三〇日の同委員会会議において田口委員長からその報告があり、右国政調査を行なうため、漁業制度及び水産資源の保護増殖に関する小委員会ほか二つの小委員会が設置された。同年七月四日の水産委員会会議において田口委員長は「漁業制度に関する件について議事を進めます。この際松田委員より発言を求められております。これを許します」と述べ、委員たる被告人は発言して、北海道における中型機船底びき網漁業の操業区域及び操業期間の制限に関する問題のいきさつ、特に昭和二七年一一月一九日に一年間の暫定措置がとられたのに、昭和二八年になつて水産庁が制限拡大の方針をもつて臨んでいることに関し、石狩湾における底びき網漁業者と沿岸漁業者との間の利害の対立が深刻で、水産庁の努力にもかかわらずその調整に困難をきたしている旨などを述べた上、「この問題を委員会に報告し審議していただき、適当なる案を水産庁と協議されんことを委員長においてとりはからいを願いたいと存じておるのであります」と述べた。これに対し田口委員長は「ただいま松田委員からの緊急質問に対しましては、当委員会としては小委員会で一応研究する、こういうことにいたしましておさしつかえありませんか」と委員会にはかり、異議なくそのように決定を見た。この措置に基づき、同年七月六日前記小委員会の会議が開かれ、白浜仁吉小委員長及び被告人を含む数名の小委員並びに田口水産委員長らがこれに出席し、政府委員として水産庁次長岡井正男が出席し、本件石狩湾における底びき網漁業と沿岸漁業との漁業調整について協議が行われ、水産庁においてすみやかに円満解決をするように要望するということで散会した。続いて同月八日白浜小委員長の主催により常任委員会庁舎内委員長応接室においてこの問題に関する協議会が開催され、右小委員長及び被告人を含む小委員その他の委員数名が出席し、水産庁及び北海道庁の係官並びに底びき側、沿岸側各業者代表からの説明や意見の聴取が行われた。そして同月一六日水産委員会の会議において白浜委員からこの問題に関する審議の経過及び結果の報告が行なわれた。その報告によると、前記小委員会の調査の結果四項目の事実が判明したので、水産庁当局に対し、その四項目を十分考慮し、かつ沿岸漁業を漸次沖合漁業に転向せしめる基本方針に従い、また機船底びき網漁業についても急激に収入減を来たさないよう配慮の上、水産庁において北海道庁当局、道議会水産常任委員会、機船底びき網漁業者及び沿岸漁業者と合議の上、早急に結論を出すべきであるとの同小委員会の結論を申し入れたというのである。

右の事実によれば、本件石狩湾における中型機船底びき網漁業と沿岸漁業との調整の問題は、議院の国政調査権に基づき、衆議院水産委員会が議長の承認を受けて調査を行なつていた事項の一つである漁業制度に関する問題に該当する一つの案件として、被告人の提案により同委員会において取り上げられ、前記国政調査の目的で設けられた前記小委員会における具体的な調査の対象とされたものである。そして、この問題は、結局農林大臣の行なう中型機船底びき網漁業を禁止する区域及び期間の指定及びこれに関連する漁業者の救済措置に関するものであるから、これが漁業制度に関する事項として前記委員会の適法な国政調査事項となることはいうまでもない。そして、議院の国政調査権は、国会の権限を効果的に行使するために認められた調査の権能であつて、これによつて議院が直接に行政に関与するものでないことはもちろんであるが、しかし国会は憲法上立法及び予算議決の権限を有するほか、広く行政部に対する監督の権限を有すると解されるのであるから、これらの権限の行使に資するため、議院は個々の行政行為の妥当性も調査の対象とすることができるものと解すべきであり、その調査行為自体によつて行政作用に対し影響を及ぼすことも当然予想されたことである。前記証拠によれば、前記協議会は本件漁業調整問題に関し、事情を調査するにとどまらず、業者間の利害の調整及び水産庁当局に対するある程度の勧告を行なうことをも目的としていたことがうかがわれるが、しかし前記委員会及び小委員会が本問題を取り扱つた経過を全体として見れば、それが議院の国政調査権に基づく行動であることは明らかである。したがつて、被告人の前記委員会における発言並びに小委員会の会議及び協議会に出席してその調査に関与した行為は、いずれも衆議院議員並びに前記委員及び小委員としての職務上の行為であるといわなければならない。また、被告人は右委員及び小委員に選任されたときから、所定の国政調査事項に関し、本件漁業調整問題のような具体的案件を調査の対象として取り上げてはどうかという意見をその会議において述べる職務権限並びに水産委員会又は前記小委員会の行なう調査行為に関与する職務権限を有したものと解すべきであつて、弁護人所論のように、一定の具体的事項が議題とされた後でなければ議員の職務権限が発生しないものとは解されない。

右によれば、前記認定の伊勢の請託にかかる事項は被告人の職務たる行為というべきであり、また被告人はその請託を受けた数日後に右請託事項に適合する前記委員会における発言を行ない、さらに引き続き前記国政調査に関与し、その間に本件百万円の供与を受けたことが認められるのであるから、前記認定の右百万円の報酬たる性質は一層明らかである。そうして見ると、本件百万円は被告人の職務に関して供与された賄賂というべきであり、また前述したところを総合すれば、被告人はその情を知つて右賄賂を収受したと認めるのに十分である。

以上によれば、本件公訴事実はこれを認めることができるのであつて、原判決の前記事実誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。

よつて刑事訴訟法第三九七条第一項、第三八二条により原判決を破棄し、同法第四〇〇条ただし書により、さらに次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は昭和二八年四月一九日施行の衆議院議員選挙に当選して衆議院議員となり、その直後の第一六回国会において、同年五月二二日衆議院水産委員会委員に選任され、同月三〇日、同委員会が衆議院議長の承認を受けて行なうことになつた国政調査のために設置した「漁業制度及び水産資源の保護増殖に関する小委員会」の小委員に選任され、右委員及び小委員として、同委員会及び小委員会の会議に出席し、調査事項たる漁業制度及び水産資源の保護増殖に関し、どのような具体的案件をその調査の対象として取り上げるべきかにつき意見を述べ、また関係行政庁係官、水産業者等からの説明聴取及び資料提出の要求等の方法による調査に関与する職務権限を有していた。

その当時北海道における中型機船底びき網漁業者と沿岸漁業者との間には、沿岸漁民の増加及び沿岸漁業の発達等に伴い、特に石狩湾の好漁場をめぐり深刻な利害の対立があり、関係行政庁たる北海道庁及び水産庁においては両者の操業の調整のためかねてから種々の方策を講じて来たのであるが、昭和二七年九月二二日北海道知事は水産庁長官に対し、底びき網漁業が漁場荒廃を招来し、さらに沿岸漁業を著しく脅威しているとの見解に基づき、いわゆる余市たら場漁場の全面禁止区域化、石狩湾漁場の相当部分の禁止区域編入及び従前の禁止期間二カ月を四カ月とする措置を含む、中型機船底びき網漁業取締規則に基づく禁止区城及び禁止期間の改正意見を具申し、同年一一月一九日水産庁において妥協的な暫定措置を講じたのであるが、その後も道庁は水産庁に対し具申どおりの措置の実施を要望していたので、水産庁においても、さらに業者の意見も聞き、この漁業調整に乗り出し、昭和二八年六月末ごろには道庁の意見が採用される見とおしが強くなつていた。この道庁案に対し小樽市の中型機船底びき網漁業者は強く反対し、その業者から成る小樽機船底びき網漁業協同組合は、石狩湾漁場対策委員会を設け、多額の経費を投じ、代表者をしばしば上京させ水産庁に陳情を行なう等の反対運動を続け、道庁案の実施の阻止に努めて来たのであるが、前記のような見とおしが強くなるに従い、禁止区域及び禁止期間の拡大はやむを得ないとしても、その範囲を縮減し、かつ実施に猶予期間を置くこと並びに底びき網漁業者の受ける損害を補うため、操業区域にオホーツク海を加えること、従たる根拠地の増設を許可すること、漁船の大型化に伴うトン数補充を猶予すること、兼業漁業を許可し、金融のあつせんをすることなどをも要望するに至つた。

被告人は北海道選出の議員で、小樽市の底びき網漁業者からも日ごろ選挙運動資金等を受けており、かつ自らも漁業を経営し、また兄松田辰蔵が昭和二七年まで前記協同組合組合長をしていた関係もあつて、底びき網漁業者の立場に理解を有し、同組合長であり、かつ前記対策委員会委員長である伊勢栄吉らからかねて右石狩湾における漁業調整問題に関し相談や依頼を受けていたのであるが、昭和二八年六月三〇日ごろ東京都千代田区霞ケ関三の六番地衆議院第三議員会館内の自室において、右伊勢らから右問題につき情勢が絶望的となつてきたことにかんがみ、水産庁に底びき網漁業者の前記要望を入れてもらう方策の相談及びそのための尽力の懇請を受けた際、この問題を自己の所属する衆議院水産委員会で審議してもらう方策のあることを指示し、よつて伊勢から、被告人において同委員会にこの問題を提案して議題とし、その審議において底びき網漁業者にとつて利益となる発言をすることの請託を受け、同年七月七日ごろ東京都千代田区二番町一〇番地の一の自宅において、前記請託にかかる被告人の尽力に対する前記石狩湾漁場対策委員会からの報酬として供与されるものであることを知りながら、前記伊勢から現金百万円の供与を受け、もつて前記職務に関し請託を受けて賄賂を収受したものである。

(証拠の標目)

右の事実は、

一、被告人の当審公判廷における供述及び原審第一〇回公判調書中の被告人の供述記載(判示金銭の趣旨の点を除く。)

一、原審第一回公判調書中の被告人の供述記載(被告人が判示議員及び委員の地位にあつた事実につき)

一、被告人の昭和三二年八月二〇日付、同月二二日付、同月二六日付、同年九月二日付及び同月四日付各検察官に対する供述調書(伊勢らから本件金銭をもらつた覚えがないとの点を除く。)

一、証人伊勢栄吉に対する原審証人尋問調書、同人に対する裁判官の証人尋問調書及び同人の検察官に対する供述調書四通

一、証人斎藤文吉に対する原審証人尋問調書及び同人の検察官に対する供述調書

一、証人表一二に対する原審証人尋問調書、同人に対する裁判官の証人尋問調書及び同人の検察官に対する供述調書三通

一、当審証人渡辺善太郎の供述

一、証人田口長治郎、同白浜仁吉、同中川忞、同野口宣、同長谷川健治、同松平武一、同山田忠郎に対する原審各証人尋問調書及び同人らの各検察官に対する供述調書

一、証人川村善八郎、同岡井正男、同立川宗保に対する原審各証人尋問調書

一、原審第九回公判調書中の証人松田辰蔵の供述記載

一、津島賢治、永野幸彦、道盛弘蔵の各検察官に対する供述調書

一、検察官作成の被告人自宅の実況見分調書

一、衆議院事務総長鈴木隆夫作成の捜査関係事項照会についてと題する回答書

一、同人作成の委員会開催状況等について照会の件と題する回答書(水産委員会議録綴添付)

一、同人作成の衆議院公報提出方依頼についてと題する書面(衆議院公報綴添付)

一、第一六回国会衆議院水産委員会漁業制度及び水産資源の保護増殖に関する小委員会議録の写真

一、押収にかかる「底びき漁業調整関係綴」一冊(証第一号)、「漁業取締関係書類綴」二冊(証第二号の一、二)、「石狩湾問題陳情関係書類」二冊(証第三号の一、二)、「石狩湾漁場紛争資料」四冊(証第四号の一、二、三及び証第一〇号)、北海道海域中型機船底びき網漁業禁止区域及び期間の改正に関する北海道水産部漁業調整課保管の書類綴一冊(証第五号)、「北海道禁止区域、期間改正関係綴」一冊(証第六号)、「会議書類綴一冊」(証第八号)、「参考綴」一冊(証第九号)

を総合して認める。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法第一九七条第一項後段に順当するので、所定刑期の範囲内で被告人を懲役一年に処し、諸般の情状にかんがみ同法第二五条第一項を適用してこの裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予することとし、被告人の収受した判示現金百万円は同法第一九七条の五により没収すべきものであるが、これを没収することができないので同条後段によりその全部の価額金百万円を被告人から追徴することとし、原審及び当審における訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文により全部被告人の負担とする。

(裁判長裁判官 矢部孝 裁判官 中村義正 裁判官 小野慶二)

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